ハイレバレッジだよ人生は☆孤高のトレード職人・お美沙の館

徒然なるままに その日暮らし PCに向かひて 心に移りゆく相場への想いを そこはかとなく書き綴るblog

いじめ~私の体験談

イメージ 1

社会問題化して久しい「いじめ」の問題ですが、私の体験談を交えて今回、投稿しました。


私には中学時代のお友達はいません。いじめを受けていたからです。


私は、生まれてから中学1年の時まで京都の田舎町で過ごしました。

生徒数も少なく家族的な雰囲気の、のどかな学校でした。

男兄弟しかいなかった私は、学校に行って同性の友達と接するのが楽しみでした。


そんな楽しかった日々が、父の仕事の関係で中学2年の時に転校した時から一変しました。


大阪の東淀川区という比較的やんちゃな生徒の多い中学校への転校・・

同級生の普段の会話が、田舎出身の私には喧嘩してるのかと錯覚するくらいに粗野に聞こえました。

京都時代は人を笑わすことが大好きで、明るく活発なオテンバ娘だった私なのに、最初に私に付けられた

あだ名がなんと「幽霊」・・・

ひょろっとしてて青白い顔してて無口で陰気でキモイからだそうです。


中2・中3の2年間、考え得る全てのいじめを受け続けました。

毎月一定額のお小遣いは、いつの間にか紛失する私の教科書や体操服を買うために使っていました。


先生や親兄弟にはこのことを、ひた隠しにしていました。

先生に言っても決して解決策にならないことは解ってましたし、親はまさか自分の娘がいじめを受けてる

とは夢にも思ってないでしょうから、落胆させたり心配をかけたくなかったからです。


そんな私にとって、一人だけ理解者がいたことは大きな救いでした。

私はいつも一人で図書室で昼食を取り、昼休み終了ギリギリまで図書室で本を読んで過ごしていま

したが、図書室の係りの40代のある女性がいつも私の話しを親身になって聞いてくれていました。

その人の存在が無ければきっと気持ちが折れていたと思います。

その女性はもう60代半ばになられましたが、今でも文通は続けていただいています。


思春期の私にとってあまりに過酷な2年間でしたが、とにかく私は無欠席で通学しました。

学校の休みの日は、遊ぶ相手もいないので家で勉強するしかありませんでした。

その結果、体育以外の教科の成績はすごく良くなりました。

おかげで学区でも最上位級の進学高に合格できました。いじめがもたらした意外な副産物でした・・


中学とは一変して高校時代は天国でした。


朝、教室に入って私が「おはよう」って言ったらみんなも「おはよう」って言ってくれること・・

みんなと楽しくおしゃべりしながら机を囲んで昼ごはんを食べること・・

下校途中、ロッテリアに寄り道して2~3時間粘ること・・・

このような普通の高校生の日常が私にとっては夢のような出来事でした。


いじめの問題って自分ではどう解決していいかわからないですよね・・

私の場合、20年経過した今でも心に影を落としてるような気がします。


今回のことはリアルでは絶対、話せないことです。

資格部屋には教員志望の方も多くいらっしゃいます・・

問題提起という意味で今回、投稿されていただきました。


今回は重たい話題ですみませんでした。

                                      それではまた^^
<
/javascript'>parts(1479856,"ffffff","160","001eff",600000,"135","9764","outrank","http://princess-misa5.hateblo.jp/", 2, 0, "F7F7F7", "001eff");